ヒューマンケアの事例紹介Example
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その他 ゴミ屋敷清掃
ゴミ部屋の片づけ事例㊲【横浜市中区】
訪れた現場は築十数年のアパート。
目的の部屋は一階の一室で間取りは1K。
依頼者は、当社と取引関係にあるアパートの管理会社。
「ヒドいゴミ部屋になっている」ということで、声が掛かった次第。
「うまくやってくれ」といった期待も感じられた。
居住者は中年の男性、部屋の雰囲気に合致した風貌。
発覚したキッカケはアパートの他住人に窓から目撃されたこと。
住人は、すぐさま管理会社へ通報し、管理会社は居住者へ連絡。
通報内容を否定しない居住者に対し管理会社は至急の内見を要請。
始めは拒んでいた居住者だったが、押し問答に勝てるわけはなくゴミ部屋は明るみに。
情報は、アパート隣に暮らす大家にも共有され、大家は激怒。
早急に対処するよう、大家は管理会社に強く要請した。
管理会社は、早急にゴミを片付けることを居住者に要求。
抗弁できる術のない居住者も、それを容認。
しかし、それは口だけ、片付けを始める気配は一向になし。
放っておくわけにもいかない管理会社は、再三再四、居住者に要求。
それでも、片付けない居住者。
「片付けろ!」「片付ける・・・」、でも片付かない・・・堂々巡りが続いた。
ゴミ部屋といえども占有利用権は居住者にある。
また、ゴミといえども所有権は居住者にある。
居住者に非があることが明らかでも、勝手に入室して勝手に片付けることはできない。
とはいえ、居住者は、自分で片付けることをせず、業者に頼むお金も持っておらず。
管理会社は、大家からプレッシャーをかけられ、居住者にプレッシャーをかけても手応えが得られず、なかなかツラい立場に。
大家がシビレを切らすのは時間の問題で、強制的にやることを決断するしかなかった。
結局、費用は 一旦 管理会社が立て替えることで、居住者はゴミの片付けを了承。
で、当方の出番となった。
ただ、管理会社が立て替えられる予算にはかぎりがあった。
最終的には、居住者が弁済する約束にはなっていたものの、弁済されないリスクも小さくはない。
そのため、予算は、回収できなかった場合も想定したうえでのギリギリ額で、それに伴って、当方の作業も一定のところで線を引かざるを得ない状況だった。
この世の中、ゴミ部屋の主になっている人は少なくない。
ただ、そこには何かしらの原因・理由・事情がある。
もちろん、それで当人が責任を免れることはないのだが、一方的に非難する気持ちにもなれず。
作業をすすめる中、居住者の人間味に触れていくうちに妙な同情心と自分に対する不安感が涌いてきた。
そして、本来なら予算内に収めなければならない仕事であっても、金銭には換えられない思いやりやボランティアの精神をもって取り組んだ。
作業の結果、多くのゴミを片付けることができたが、もちろん、これで問題が解決したわけではなかった。
残ゴミの片付け・清掃・内装改修、設備修繕・・・やらなければならないことはまだある。
大家・管理会社・居住者にとって、頭の痛い問題はまだまだ残っている。
ただ、解決に向けての一歩を踏み出すことはできたわけで、大家に対する面目を失わずに済んだ管理会社は「期待以上の仕事ぶり」と評価してくれ、居住者の顔もわずかながら朗らかになったような気がしたのだった。
→※詳しい話は「特殊清掃 戦う男たち(不知の病)」
→※詳しい知見は「ゴミ屋敷・ごみ部屋にされてしまった場合の対処方法は?」
作業場所 | 賃貸マンション(1R) |
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依頼内容 | ゴミの梱包・搬出 |
作業時間 | 5時間 |
作業人数 | 1名 |
作業料金 | 50,000円(税抜き) |
ゴミ部屋の片づけは、ヒューマンケアにお任せください!
横浜市中区周辺の対応地域
横浜市西区、横浜市南区、横浜市磯子区、横浜市鶴見区
ヒューマンケアの事例紹介Example
解体 内装工事 特殊清掃 遺品整理 消毒・消臭
玄関の特殊清掃と消臭事例まとめ編⑪
住人が賃貸物件の玄関で亡くなり、しばらく放置されてしまった案件。
人生の終わりは、いつ どこで どういうかたちで訪れるかわからない。
相対的な確率で考えると、「老人や傷病の床にある人の方が亡くなりやすい」と言えるのかもしれないけど、それは絶対的なものではない。
言うまでもなく、特に病気もケガもない赤ん坊・幼児・子供・若者だって、常に、命を失う可能性をはらんで生きている。
事実、事件・事故・自然災害・戦乱などで、命を落としている人のニュースは、日々、途絶えることがない。
こういった特段の事情のない、日常生活においても同様。
体調が急変して亡くなった事案では、「昨日まで元気にしていたのに・・・」「さっきまでフツーにしていたのに・・・」といったケースがざらにある。
本件でも、故人は、亡くなる直前まで健常に暮らしていたはずで、実のところ、その死に一番驚いているのは、亡くなった本人なのかもしれない。


