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無縁社会におけるヒューマンケアの役割は?
- A
個人の自由が重んじられる現代。
社会を組み立てていた家族・親戚との血縁が薄らぎつつあり、近所の人々との地縁も疎かにしがちに。
同時に、企業における年功序列の終身雇用制度も崩れつつある中で、会社の人間とも業務上のみの関わりで、職を離れれば縁も消える。
「孤独死」という言葉が一般化する中で「無縁社会」という言葉が生まれ、特殊清掃・遺品整理など、それに基づく新たな専門業者が続々と生まれてきた。
大きな企業体ではないが、ヒューマンケアは、正真正銘、その先発会社。
長年に渡って培ってきた実績・ノウハウと、経験に裏打ちされた心遣いで、多くの依頼者の期待に応えている。
無縁社会とは?
「無縁社会」は造語であり、2010年放送のNHK番組に由来する。
「人同士の繋がりが希薄になりつつあることを背景に孤独死や孤立死が広がっている」といった内容の番組で、当時は大きな反響を呼び、流行語大賞にも選ばれた。
ネガティブな意味合いで用いられることがほとんどで、主に訴えられることは、人と人との繋がりが薄れつつある現実とそれがもたらす弊害である。
無縁社会のリスクには、死や弔いにまつわることだけではなく貧困や少子化も含まれており、国や自治体の施策にも影響を及ぼすほどの社会問題に発展している。
無縁社会前の社会は?
日本の社会は昔から無縁社会だったわけではなく、好む好まざるに関わらず、多くの人と繋がっていないと通常の生活を営むことができないような社会だった。
家族・親戚などとの「血縁」、地域・近隣などとの「地縁」、会社や仕事上の「社縁(職縁)」、友人や知人などとの「友縁」があり、この縁を通じて様々な人達との繋がりを維持し、社会的利益を享受していた。
無縁社会の背景は?
個人主義が重んじられるようになって久しいが、本来は個々人の価値観・感性・志向などを尊重しつつ共存共栄を図ろうとする考え方のはずが、実際は面倒な人間関係(束縛)から解放されることに重きを置いた考え方になっていると思われる。
そのため、人々は、自分の都合によって関わる人(コミュニティー)、また関わらない人を自由に選び、同時に、断ってはいけない関係までも切り離してしまうのである。
また、氏名・年齢・顔等々が秘匿・詐称・加工された上でも“友達”(疑似親友)になれるSNSが、人々の孤独感を麻痺させ無縁社会化の一因になっているのかもしれない。
無縁社会の構造は?
生前整理は、中高齢者だけでなく若い年代の人の中にも意識している人はおり、特に決められた時期はない。
無縁社会の根底には多くの単身世帯があり、とりわけ目立つのは中年男性の孤立。
その中には、就活時が いわゆる「就職氷河期」に当たり、正規で働きたくてもその機会が充分に与えられなかった人達も多い。
不安定かつ弱い経済力によって結婚や家庭を持つことを阻まれた世代だ。
単身世帯で年齢を重ねれば、それだけ孤独死のリスクが高まる。
事実、東京では単身世帯の男性死亡件数は年々増加しており、10年間で倍増している。
そして、無縁社会の広がりによって、それは今後も増え続けていくことが想定される。
就職氷河期世代への支援は以前から求められてはいるが、大きな対策も打てず、効果も限定的なものに留まっているのが現状である。
無縁死 無縁仏とは?
「無縁死」とは、葬式や供養に関わる面倒をみてくれる人がいない場合の死を言う。
「無縁仏」もほぼ同義で、それに加えて故人(遺体・遺骨)や継ぐ人がいなくなった墓そのものを指すこともある。
ただ、実際には、故人が天涯孤独の身の上であるケースは少なく、親族などから引き取りを拒否されるケースが大半。
理由も様々あり「故人には関わりたくない」「トラブルがあり絶縁していた」「ずっと疎遠で血が繋がっている実感がない」「自分にも生活があり費用を負担できない」「引き取っても後々困ることになるだけ」等々。
ただ、それが法定相続人や身元引受人だった場合は、原則として引き取りは拒否できない。
自治体によっては、それでも拒否できる場合があるが、火葬や納骨費用の負担は免れないことがほとんど。
こういった事案が相次いでいる近年、無縁死・無縁仏は社会問題にもなっている。
無縁死の現状は?
無縁死となった遺体は引き取り手がいないため、自治体によって火葬・埋葬される。
厚生労働省の集計による2021年度の葬祭費を行政が負担したケースは49,000件近くにのぼっている。
その中で身元がわからない人は1割を下回り、逆に身元がわかっている人は9割以上なのだそう。
それにも関わらず、ほとんどの人が無縁死となっているのである。
そして、多死社会の中で、こういった案件が急増していくことが懸念されている。
自治体の対応は?
身元がわからない遺体は「行旅死亡人」と呼ばれ、「行旅病人及行旅死亡人取扱法」が適用され、身元がわかる遺体は「墓地、埋葬等の関する法律」(墓地埋葬法)が適用される。
行旅死亡人はもとより、墓地埋葬法では「死体の埋葬又は火葬を行う者がないとき又は判明しないときは、死亡地の市町村長が、これを行わなければならない」とされている。
ただ、1948年の法施行当時は現代のような多死社会・無縁死社会が想定されておらず、親族・縁者の範囲・探し方、遺体・遺骨の保管期間・埋葬法などについて細かな規定はなく、各自治体の裁量や他自治体の例に倣って処理されている。
無縁死が広がる中で、行政に重い負担が圧し掛かっているのが実状である。
自治体の弔いは?
自治体が弔う場合、一部には読経などを行うところもあるようだが、ほとんどは法律に則して簡素に進められ宗教儀礼的な葬儀などは行われない。
遺体や遺骨の保管については葬儀会社や寺院など民間に頼っているケースも多々ある。
少ないとはいえ、保管が長期に渡るケースも発生しており、とある自治体では遺体が3年も放置保管されたままになっていたケースもあるという。
遺骨においては5年が平均的な保管期間らしいが、保管場所や管理費用にも限界があるため、保管期間を短縮したり遺骨を粉砕して合葬したりするところもあるよう。
だた、合葬されるのは遺骨の一部で、残りは廃棄物扱いとなるため独特の悲哀が残ってしまう。
ヒューマンケアの無縁死事例
現場は、古いアパートの一室。
そこに暮らしていたのは高齢の女性で、室内で孤独死。
発見されるまで数日かかり、遺体は相応に腐敗し、特有の汚れと異臭が発生。
持病のせいか老い衰えのせいか、家事は滞り気味で室内はゴミ部屋状態に。
遺体は警察の施設に運ばれ検死を受け、事件性がないことが確認された。
女性に結婚歴はなく、長年、一人暮らし。
近しい家族・親戚や友人もおらず近所付き合いもなし。
最期の数年は無職で年金と貯蓄で生活。
街角で挨拶を交わすくらいの人はいたのかどうか・・・
本望だったのかもしれないが、傍から見ると“孤独”そのものだった。
遺体となって発見された後、故人を引き取る者は現れず。
警察も縁者の探索に手を尽くしたが、結局、弔いを担う者を探し出すことはできず。
結局、自治体が面倒をみざるを得ないことに。
また、特殊清掃・消臭消毒・遺品整理・家財処分等々、当室原状回復についての作業・工事は、その費用を大家が負担することで進めることとなった。
部屋には、何柱かの位牌が祀られた小さな仏壇があった。
ただ、引き取り手がいない以上、家財ゴミと同様に処分するほかなし。
また、仏壇の傍らには、故人の母親と思われる遺骨もあった。
これは仏壇のように処分することはできないため、警察を介して当地の自治体に引き渡すこととなった。
故人と母親の遺骨は無縁仏となった。
故人の生前の信仰や想いを慮ると、淋しいような切ないような、何とも言えない感情が湧いてきた。
が、これも現実、増えつつある現実。
現代を蝕む無縁社会を象徴するような現場に、当方は粛々と対峙したのだった。