特殊清掃「戦う男たち」吐気を更新いたしました。
吐気
「水無月」とも言うのに、六月に入った途端、急な雷雨・豪雨、そして、雹に見舞われるようになった。
今年の梅雨入りは例年より遅くなるようだが、私の精神状態と同様、これから、しばらく、天気・気温ともに不安定かつ不快な日が続く。
私は、もともと、時季に関係なく精神不安定で、年柄年中、虚無感を抱えている人間だけど、このところは、特に気分のUp・Downが激しい・・・
あ、でも、「Downが激しい」と言った方が正確かも。
残念ながら、気分がUpすることは「まったく」と言っていいほどないわけだから。
不眠症も更に重症化し、ここ一か月くらいは、毎晩、変な夢をいくつもみるような始末。
神経質で疑り深い性格が災いしてか、薬の効きもよくない。
時々、朝御飯を食べるときに吐き気をもよおすこともあり、こんな毎日に、嫌気がさしているような始末。
こうして生きていて、楽しいことが何もない、面白いことが何もない。
“こんな日々がいつまで続くのか・・・”と思うと、お先真っ暗、本当にイヤになってくる。
雨風しのげる家があり、三食の糧になる仕事があり、衰えてきたとはいえ動く五体があり、退屈に思えるくらいの平和がある。
理屈では、「贅沢な願い」「高すぎる望み」「つまらない欲」だということはわかっている。
「目を向けるべきところが違う」「心の在り方が間違っている」ということもわかっている。
ただ、それが“心”というものの不可思議なところ、“鬱”というヤツの厄介なところ。
どんなに立派な理屈を組み立てて「しっかりしろ!」と揺さぶっても、微動だにしない。
吐くまで飲むようなことはないけど、酒量も増えたまま。
「休肝日を復活させたい」と思っていても、酒を前にして、その理性はまったく歯が立たない。
「身体によくない」とわかっていても、「翌朝には鬱状態が待っている」とわかっていても、飲まずにはいられない。
「今夜は飲まないでおこう」と、朝、心に決めても、昼くらいになると その心は完全に折れている。
で、自分に対する言い訳を考え始める。
結局、「今日一日飲んだくらいで病気になるわけじゃない」「今日一日我慢したくらいで元気になるわけじゃない」と、冷蔵庫のウイスキーに手を伸ばすのである。
それでも、近年は、割って飲むようにしているから、少しは、身体への負担が減っている・・・と思う。
かつての私は、ウイスキーをロックで飲むことを日常としていた。
咳き込むくらいに濃いヤツを口に含み、舌で転がしながら特有の香りと甘みを楽しんでいた。
そして、それを喉から食道を通して胃に流し込み、五臓六腑に沁みわたらせていた。
その酔いは心地よく、毎晩の楽しみに。
しかし・・・